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財団法人東京都公園協会 染井霊園事務所(そめいれいえんじむしょ)
東京都豊島区駒込5−5−1
03−3918−3502

面積は、67,911u。
染井霊園は、もと上駒込の建部邸跡地を東京府が引き継ぎ、明治7年9月1日、染井墓地として開設されました。その後、明治22年東京市に移管され、昭和10年5月には名称を染井霊園と改め、現在に至っています。

都営霊園の中では最も規模が小さく、ほぼ平坦な地に桜の古木が点在しています。霊園の付近には幹線道路がないことから、区内霊園としては、静寂な地となっています。
(※東京都・染井霊園事務所配布の「染井霊園案内図」より)

※霊園内にはいくつか案内板がありますが、園内を散策する場合、(特に初めて染井霊園に来られた方は)「染井霊園案内図」を調達されたほうがいいと思います。
「染井霊園案内図」は、東京都・染井霊園事務所でもらえますが、寄付金としていくらか払ってください。(100円ぐらいでいいんじゃないでしょうか)

「染井霊園案内図」は、表が霊園内の地図、裏が霊園に眠る著名人のリストになっています。
※染井霊園案内図  表(霊園地図)を見る  裏(著名人リスト)を見る

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地図は、お散歩マップページ巣鴨界隈 お散歩マップをご参照ください。

染井霊園に眠る著名人(※「染井霊園案内図」による)
染井霊園案内図  表(霊園地図)を見る  裏(著名人リスト)を見る
氏  名 没年月日 没年齢 事  績
饗庭(あえば)篁村 大正11年 6月20日 68 作家。江戸から明治への過度期に橋渡しの役割をした。
淡島寒月 大正12年 2月23日 68 元禄期の文学者・井原西鶴を紹介。
石川倉次 昭和19年12月23日 86 日本点字の創始者。
石川一郎 昭和45年 1月20日 84 化学工業界の第一人者。日本経済団体連合会会長。
伊藤道郎 昭和36年11月 6日 69 三浦環に声楽を学び、アメリカで舞踏家として活躍。
井上 範 昭和 7年 6月24日 56 若松港・神戸港を築くことに功績。
巖本善治 昭和17年10月 6日 79 明治女学校校長。
巖本真理 昭和54年 5月11日 53 バイオリン奏者。
海野勝a 大正 4年10月 6日 72 彫金界の第一人者。
大田黒元雄 昭和54年 1月23日 86 日本の楽壇における評論活動の先駆者。
岡倉天心 大正 2年 9月 2日 52 日本文化を世界に紹介。
奥宮健之 明治44年 1月24日 55 旧自由党員。大逆事件で死刑となる。
小河(おごう)一敏 明治19年 1月30日 74 尊皇攘夷激派の志士。「王政復古義挙録」を残した。
梶田半古 大正 6年 4月23日 48 日本画家。
北田薄氷(うすらい) 明治33年11月 5日 25 作家。梶田半古の妻。
勝沼精蔵 昭和38年11月10日 78 内科医。血液学では、国際血液学会長も務めた。
樺山資紀 大正11年 2月 8日 86 海軍大将。台湾総督になった。
川田小一郎 明治29年11月13日 61 三菱の発展に尽くす。明治22年に日本銀行総裁になった。
陸 羯南
(くがかつなん)
明治40年 9月 2日 51 新聞「日本」を創刊し、官僚・藩閥を常に攻撃した。
熊谷直彦 大正 2年 3月 8日 86 明治17年、絵画展覧会に優賞。同37年、帝室技芸員になった。
高 良斎 弘化3年(1846年)
 9月13日
48 幕末の眼科医。シーボルトに学ぶ。
五島美代子 昭和53年 4月15日 79 歌人。
阪本四方太 大正 6年 5月10日 45 俳誌「ホトトギス」で活躍。
笹川臨風 昭和24年 4月13日 80 新しい俳句誕生に貢献した。美術史の研究と評論も行なった。
幣原喜重郎 昭和26年 3月10日 79 昭和初期に協調外交を行い、戦後、首相として新憲法を制定。
下岡蓮杖 大正 3年 3月 3日 92 日本で営業写真館を最初に開いた。
下篠康磨 昭和41年 4月25日 81 政治家・統計学者。吉田内閣の文相。
下瀬雅充 明治44年 9月 6日 53 下瀬火薬を発明。日露戦争で威力を発揮。
末広厳太郎(いずたろう) 昭和26年 9月11日 63 日本の労働法学の開拓者。
杉 亨二(こうじ) 大正 6年12月 4日 89 統計学者。日本最初の近代的人口調査を実施。
関根正直 昭和 7年 5月26日 73 国文学者。
高田早苗 昭和13年12月 3日 79 大隈内閣の文相。早稲田大学総長。
高嶺秀夫 明治43年 2月22日 57 東京師範学校長。教育法の革新を図った。
高村 光雲
    光太郎
    智恵子
光雲〜昭和 9年
光太郎〜昭和31年

83
73
光雲〜彫刻家。光太郎〜詩人。「道程」「智恵子抄」など。
高安月郊 昭和19年 2月26日 79 戯曲作家。
多田北烏(ぼくう) 昭和23年 1月 1日 58 講談社の挿し絵画家。
田村直臣 昭和 9年 1月 7日 79 苦学生のために「自営館」を開いた。
坪井誠軒 嘉永1年(1848年)
11月 8日
54 蘭方医学の先覚者。門人に緒方洪庵など。
坪井信良 明治37年11月 9日 82 坪井誠軒の養子。将軍奥医師。
坪井正五郎 大正 2年 7月12日 51 人類学に業績を残し、コロボックル説を唱えた。
寺本義久 明治 9年10月30日 30 警視庁警部補。「思案橋事件」で殉職3号となった。
藤堂高献(たかゆき) 明治28年 2月 9日 80 伊勢津藩主。 墓総高〜500cm
長瀬富郎 明治44年10月26日 48 花王石鹸の創業者。
長田秀雄 昭和24年 5月 5日 64 小山内薫らの新劇運動に入り、史劇を発表した。
野村文夫 明治24年10月26日 56 「団団珍聞」を創刊し、週刊誌発行の草分けとなった。
萩野由之 大正13年 2月 2日 65 従来の和歌(桂園派)を攻撃し、和歌の改良を目指した。
波多野精一 昭和25年 1月17日 73 哲学者。ギリシャ哲学の原典研究の道を開いた。
浜尾 新 大正14年 9月25日 77 東京帝国大学総長。枢密院議長。
浜尾四郎 昭和10年10月29日 40 浜尾新の息子。小説家。
土方久元 大正 7年11月 4日 86 明治維新の功労者。
土方与志 昭和32年 6月 4日 59 演出家。小山内薫とともに築地小劇場を建設。
平田銕胤(かねたね) 明治13年10月25日 82 国学者。天皇の侍講。
福岡孝弟 大正 8年 3月 7日 85 五箇条御誓文の草案を起草した。
福田英子 昭和 2年 5月 2日 63 婦人解放運動家。
藤岡作太郎 明治43年 2月 3日 40 近代的国文学の礎を作った。
二葉亭四迷 明治42年 5月10日 46 小説家。言文一致体を主張し、「浮雲」を著した。
松浦武四郎 明治21年 2月10日 71 明治政府のもとで、「北海道」の名付け親になった。
三上参次 昭和14年 6月 7日 75 歴史学者。国文学史に功績。
水原秋桜子 昭和56年 7月17日 88 俳人。「ホトトギス」で活躍し、のち「馬酔木(あしび)」を主宰。
宮武外骨 昭和30年 7月28日 90 個人雑誌の創始。「頓智協会雑誌」で不敬罪になった。
山田文應 明治32年 5月21日 70 僧侶。染井霊園の開設の祖。
山田美妙 明治43年12月24日 43 言文一致の文学を主張して、「武蔵野」を発表した。
安岡正篤 昭和58年12月13日 86 東洋哲学者。
結城素明 昭和32年 3月24日 82 日本画家。自然主義を唱えた。
ローデスカ・ワイリック 大正 3年 4月30日 57 アメリカの宣教師。ハンセン病患者や日露戦争の負傷兵の看護にあたり、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれた。
若槻礼次郎 昭和24年11月20日 84 政治家。首相、民政党総裁を務めた。
若松賎子 明治29年 2月10日 23 作家。巖本善次の妻。
隣接する寺院に眠る著名人
遠山金四郎 安政2年2月29日
(1855年4月15日)
61 本妙寺)遠山左衛門尉景元(とおやま・さえもんのじょう・かげもと)
町奉行・大目付
千葉周作 安政2年12月10日
(1856年1月17日)
63 本妙寺)北辰一刀流を創始。玄武館道場を開く。
歴代本因坊 四世から二十一世
までの本因坊
本妙寺)江戸時代の囲碁の家元・四家のうちの一つ。二十一世秀哉が、家元制最後の本因坊。
天野宗歩 安政6年5月13日
(1859年6月13日)
42 本妙寺)江戸時代末期の将棋指し。当時、世襲制だった名人よりも強いとされ、後に棋聖と呼ばれた。
森山多吉郎(栄之助) 明治 4年 3月16日 52 本妙寺)日本で初めての英語・オランダ語通詞。ペリー来航時にも通訳を務めた。
明暦の大火(振袖火事)供養塔     本妙寺
芥川龍之介 昭和 2年 7月24日 35 慈眼寺)小説家。「羅生門」「地獄変」「蜘蛛の糸」「杜子春」など。35歳で自殺。
芥川比呂志 昭和56年10月28日 61 慈眼寺)芥川龍之介の長男。俳優・演出家。
芥川也寸志 平成元年 1月31日 63 慈眼寺)芥川龍之介の三男。作曲家・指揮者。
※ちなみに、次男の芥川多加志は戦死。芥川隆行は遠戚。
谷崎潤一郎 昭和40年 7月30日 79 慈眼寺)小説家。「痴人の愛」「細雪」など。この墓は、分骨したもの。
小林平八郎 元禄15年12月15日
(1703年1月31日)
不詳 慈眼寺)江戸時代の吉良家家老。赤穂浪士討ち入りの際に迎え撃った剣客。
司馬江漢 文政元年10月21日
(1818年11月19日)
72 慈眼寺)江戸時代の絵師・蘭学者。浮世絵、後に洋風画を描く。西洋博物学も日本に紹介。
田沼意次 天明8年6月24日
(1788年7月27日)
69 勝林寺)江戸・十代将軍家治の時、老中。賄賂政治家と言われてきたが、近年の研究で見直されている。
夏目成美 文化13年
(1816年11月19日))
68 蓮華寺江戸時代中期の俳人。父に俳諧を学び、独学で江戸四大家の一人と称されるに至る。

ソメイヨシノ(染井吉野)
駒込・巣鴨は、江戸中期から明治にかけて、花卉(かき)と植木の最大の産地でした。この地域は、江戸の西北の近郊に位置し、日光御成道・中仙道に沿って町並が発達し、藤堂家下屋敷や柳沢吉保別邸(六義園・りくぎえん)などの大名屋敷もありました。これらの大名の庭園の手入れに農民が従事するうちに、しだいに植木屋化していったと考えられています。

代表的な桜であるソメイヨシノは、江戸末期から明治初期にかけて染井村(駒込)の植木職人が、山桜の品種を改良して作ったといわれています。最初は<吉野>と呼ばれていましたが吉野山の山桜と区別するために<ソメイヨシノ>となりました。
遺伝的には<オオシマザクラ>と<エドヒガンザクラ>の交雑種といわれています。

また、桜だけではなく、ツツジや菊などの新種の開発なども盛んに行われました。特に菊は、花壇への寄せ植えである「花壇作り」から始まりましたがその後、一本の菊に数百の花を咲かせるものや多数の菊で虎や象をかたどったり、富士山を作るなどの「形造り」が登場し、この菊細工が明治になってから、団子坂の菊人形などにひきつがれていきました。

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