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染井霊園(多くの著名人が眠る墓地) フォトギャラリー一覧ページへ
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高岩寺の左脇の道を通り、国道17号線(白山通り)を渡ります。
そして、高岩寺の駐車場の右にある小道に入ると50mほど先に染井霊園の入り口(巣鴨門)があります。
上記の「巣鴨門」は、この地図の一番左端になります。
東京都の染井霊園事務所です。上記の地図で見ると右側の縦に伸びている道路の一番下側になります。
こちらの事務所で、霊園の案内図をもらうことができます。(ただし、協力金のような名目で、いくらかの寄付金を求められます。50〜100円ぐらいでいいのではないでしょうか)
事務所配布の案内図は、表が霊園内の地図、裏が染井霊園に眠る著名人のリストになっています。

おおよその道がわかればいいと言う方は、こちらの地図をご覧ください。
霊園内の場所はこのような記号で表されます。
(案内図にも記号は書かれています)
霊園内の一画にある外人墓地
高村光雲・光太郎・知恵子の墓
幣原喜重郎の墓
昭和初期に協調外交を行い、戦後首相として新憲法を制定した。
アメリカの宣教師、ローダスカ・ワイリックの墓
ハンセン病患者や日露戦争の負傷兵の看護にあたり、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれた。

ローダスカ・ワイリックの説明(拡大する
波多野精一の墓
哲学者。ギリシャ哲学の原典研究の道を拓く。
饗庭篁村(あえばこうそん)の墓
作家。江戸から明治への橋渡しをした。
 ※霊園事務所配布の案内では、「饗場」と
   なっているが、「饗庭」が正しいようです。
浜尾新の墓
明治26年、東京帝国大学総長、
大正13年、枢密院議長。
梶田半古の墓
日本画家。代表作に「春宵忽」・「秋」。
伊藤道郎の墓
三浦環に声楽を学び、アメリカで舞踏家として活躍。
藤堂高献(とうどうたかゆき)の墓
伊勢・津藩主。
さすがに大名家の墓所ということで、この門の中はすべて藤堂家の墓所で同じように大きなお墓が並んでいました。
下岡蓮杖の墓
日本で最初に営業写真館を開いた。
土方久元・土方与志の墓
土方久元・・・明治維新の功労者。薩長連合の運動に努めた。
土方与志・・・小山内薫とともに築地小劇場を建設した。演出家。
岡倉天心の墓    日本文化を世界へ紹介した。
巖本善治・・・明治25年、明治女学校校長。
若松賎子(しずこ)・・・巖本善治の妻。本名は巖本嘉志子(いわもとかしこ)。作家。
巖本真理・・・バイオリンを学び、早くから独奏者として活躍。
左側の二つ並んだお墓が巖本善治と若松賎子の墓です。右側の墓は先祖代々の墓。
     ※霊園事務所配布の案内では、歿年齢が23才になっていますが、
       数え年で33才が正しいようです。
福田英子の墓
婦人解放運動家。
自叙伝「妾(わらわ)の半生涯」がある。
川田小一郎の墓
三菱の発展に尽くした。
明治22年に日本銀行総裁。
小河(おごう)一敏の墓と記念碑
尊皇攘夷激派の志士。「王政復古義挙録」を残した。
多田北烏(ほくう)の墓
戦後の講談社の挿絵画家。教科書や絵本の挿絵の他、ポスター等でも活躍。1937年のキリンビールのポスターが代表作といわれる。
二葉亭四迷(本名・長谷川辰之助)の墓
小説家。言文一致体を主張し、「浮雲」を著す。
野村文夫の墓
「団団珍聞(まるまるちんぶん)」を創刊し、
週刊誌発行の草分けとなった。
 ※霊園事務所配布の案内では「だんだん〜」
  とルビがふってありますが、「まるまる〜」と
  読むのが正しいようです。匿名を意味する
  「○○」に由来するということです。
宮武外骨の墓
明治・大正・昭和と活躍したジャーナリスト・
歴史家・風俗研究家。
個人雑誌の始まりを作る。
これはまったくの偶然で、意識して写真を
並べたわけではないのですが、宮武外骨は
少年期に左の野村文夫の「団団珍聞」などの
滑稽風刺新聞に夢中になっていたそうです。
そして自らも「屁茶無苦新聞」などを作ったり
して、反骨精神を発揮していたということです。
← 宮武外骨の墓(2005年9月18日撮影)

2コマ上の宮武外骨の墓の写真を掲載した後、7月28日にこのサイトを見ていただいた方から、掲示板に「今年の7月28日は宮武外骨の五十周忌です」という書き込みをしていただきました。

だいぶ時間が経ってしまったのですが、行ってみたところ、きれいに整備されていましたので、改めて掲載させていただきました。

貴重な情報、ありがとうございました。
高田早苗の墓
大隈内閣の文相。早稲田大学総長。
ちなみに「男性」です。
樺山資紀の墓
海軍大将、台湾総督。
高(こう)良斎の墓
幕末の眼科医。シーボルトに師事した。
下條康麿の墓
政治家、統計学者。吉田内閣の文相。
 ※霊園事務所配布の案内では、下「篠」に
   なっていますが、下「條」が正解です。
水原秋桜子の墓
俳人・俳誌「ホトトギス」で活躍し、のち「馬酔木(あしび)」を主宰。
二つ並んだ同じお墓の左側が水原秋桜子夫妻の墓。
山田文應 顕彰碑
僧侶。染井霊園開設の祖。
山田文應 顕彰碑 説明(拡大する
若槻礼次郎の墓
大正末期から昭和初期の政治家。
首相、民政党総裁を務めた。
福岡孝弟の墓
五箇条御誓文の草案を起草した。
陸 羯南(くがかつなん)の墓
新聞「日本」を創刊し。権威主義に抗し官僚・藩閥を攻撃した。
(右)坪井誠軒の墓
  蘭方医学の先覚者。門人に緒方洪庵など。
(中)坪井信良の墓
  誠軒の養子。将軍奥医師になった。
(左)坪井正五郎の墓
  日本の人類学の先駆者。
  日本石器時代人=コロボックル説を唱える。
石川一郎の墓
経団連初代会長。
石川倉次の墓
日本点字の創始者。
松浦武四郎の墓
幕末から明治初期にかけて蝦夷地を調査し、明治政府のもとで「北海道」の名付け親になる。戒名にも「北海」の文字が入れられている。
染井霊園に隣接する寺院
《 慈眼寺(じげんじ) 》
比翼塚(境内) 慈眼寺墓地内案内(拡大する
芥川龍之介の墓 龍之介の墓の右隣にある芥川家の墓
芥川也寸志・比呂志はこちらに。
司馬江漢の墓 司馬江漢 説明(拡大する
斉藤鶴磯の墓 斉藤鶴磯 説明(拡大する


この一画が谷崎家の墓所になっています。
(この左側の通路の奥に芥川龍之介の墓があります)


その左側手前に谷崎潤一郎の墓があります。
ちなみに本当の墓は京都にあり、こちらは分骨された墓だということです。
何回か行っているのですが、小林平八郎の墓がどこにあるのかわかりません。(~_~;)
《 勝林寺 》
臨済宗妙心寺派。萬年山。
元和2年(1616年)に徳川幕府の御殿医
中川元享が湯島に創建し、老中田沼意次が
中興再建した。昭和15年(1940年)に移転。

田沼意次の墓があります。

田沼意次
江戸中期の老中。
従来、賄賂を受け取る悪徳政治家という
言われ方をしていたが、最近は優れた
財務家で誠実な人物であったというような
再評価もされている。
《 蓮華寺 》
上記の勝林寺とは細い路地を挟んで
向かい合っています。

夏目成美(せいび)の墓があります。

夏目成美
江戸時代中期の俳人。父に俳諧を学び、独学で江戸四大家の一人と称されるに至る。
小林一茶の庇護者でもあった他、富裕な資金で多くの俳人を支援した。



























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