JR駒込駅・六義園近くの交差点から、染井霊園までの800メートルほどのまっすぐな道が、染井通り。この近辺は、江戸時代から植木職人による園芸が盛んで、幕末から明治にかけて売り出された「ソメイヨシノ」は今や桜の代名詞として全国に広まっている。 |
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※染井通りの略図は、このページの最下部にあります。 |
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私の庭・みんなの庭 |
豊島区駒込3−8 |
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住民が自主管理するコミュニティ広場。
田畑や水辺づくりなどの活動を通 し、子どもたちとともに自然の環境を育てている。ここの入り口前に「植木の里」の碑がある。 |
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道標 |
六義園方面から来て、そば利久庵の手前・駒込小学校方面に曲がる地点の家の壁に「大師道」の道標が埋め込まれている。詳細は不明。 |
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そめいよしの児童遊園 |
豊島区駒込6丁目 |
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大きな公園ではないが、園内には「ソメイヨシノ」の元となった「オオシマザクラ」と「エドヒガン」を始め、様々な木々が植えられている。 |
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西福寺 |
豊島区駒込6−11−4 |
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新義真言宗の寺で、本尊は鎌倉期の木造阿弥陀如来立像。江戸時代は、伊勢津藩・藤堂家の祈願寺だった。山門右手に、区内最古の明暦元年(1655年)の六地蔵がある。また、「染井吉野の里」の碑もある。
また、墓地内には、将軍吉宗の御用植木師で、日本最初の園芸書「地錦抄」などを著した伊藤伊兵衛政武の墓がある。
寺の前の道路は、春には桜が咲き誇り、さながら桜のトンネルの中を歩くような風情になる。 |
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※駒込・巣鴨の園芸 |
江戸時代、駒込・巣鴨地域には、日光御成街道や中山道といった街道が通り、その近辺には藤堂家の下屋敷や六義園といった大名屋敷があり、これらの屋敷の庭の造園をするために植木屋もこの近辺にたくさん住んでいた。
これらの植木屋が園芸植物の庭を作り、江戸の人々がそれを見学に来たために、染井は江戸名所の一つになったといわれる。
中でも江戸一番の植木屋として有名だったのは伊藤伊兵衛。「伊藤伊兵衛」は世襲の名前で、代々伊兵衛を名乗りましたが、その中でも有名なのは三之烝とその子政武である。三之烝は「きりしま屋伊兵衛」と称したようにつつじ・さつきを栽培し、江戸市中に広めた。また政武はかえで・もみじの育成につとめ、「楓葉軒」と号した。三之烝・政武の著した「地錦抄」は、日本で最初の本格的な植物・花卉図鑑として知られている。
江戸後期になると菊作りが盛んになる。初期には花壇への寄せ植えである「花壇造り」だったが、後には一本の菊に数百の花を咲かせたり、多数の菊を集めて動物や富士山の形を作るなどの技巧をこらした「形造り」を行なうようになった。 |
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染井稲荷神社 |
豊島区駒込6−11−5 |
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旧上駒込村染井の鎮守。御神体は「十一面観音石像」。これは2代目伊藤伊兵衛、同松女が延宝2年(1674年)に寄進したものといわれる。
本殿には、伊藤博文筆の「神徳惟馨」の扁額が掲げられている。また、中には、「俵藤太むかで退治」の絵馬があるらしい。
また、ここに染井の地名の由来となった泉(井)があったともいわれる。
もともと西福寺と同じ一角に社があって、江戸時代には西福寺が染井稲荷神社の別当であり、そこから「西福寺の稲荷」と言われ、西福寺の本堂と渡り廊下でつながっていたと伝えられる。 |
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染井温泉SAKURA |
豊島区駒込5−4−24
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03−5907−5566 |
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平成16年11月に染井霊園に隣接する「東京スイミングセンター」の敷地内で掘削され、平成17年6月29日にオープンした。
サウナ・露天風呂など入浴施設の他、レストランやエステ・リラクゼーションコーナー等も併設している。JR巣鴨駅からは、送迎バスも運行されている。
営業・施設・送迎バス・その他の詳細については、染井温泉SAKURAのホームページを参照。 |
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東京スイミングセンター |
豊島区駒込5−4−21 |
03−3915−1012 |
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近年、北島康介選手の活躍ですっかり有名になった「東京スイミングセンター」。通常の幼児から選手までの水泳教室だけでなく、マタニティスイミングやエアロ・ボクシング・ヨガ・太極拳等々のスタジオエクササイズを取り入れたフィットネスなども行なっている。
詳細については東京スイミングセンターのホームページを参照。 |
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十二地蔵 |
豊島区駒込7−3−1 |
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染井霊園の入り口の手前、道が二又に分かれるところに十二地蔵がある。
舟形の石に6体の地蔵が二段に刻まれたもので、珍しいものらしい。
高さは、約1.7メートルで文字は彫られていないということだが、江戸中期のものと推定されている。
石碑の上部には火や煙のような絵が描かれていて、これは享保15年(1730年)の大火による犠牲者の冥福を祈るために近在の人々が建てたものだと伝えられている。 |
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